足利学校は平安時代初期(もしくは鎌倉時代)に創設され、室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府でした。
ザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー(坂東の大学)」と記し、海外にまでその名が伝えられたほどの学校で、学生数は3000人と記録されるほどの大きな学校だったどうです。
ザビエルはとしてキリスト教と相容れない仏教を教える大学として敵対視していた感がありましたが、その実教えていたのは儒教でそれに兵法や易学を教えていたそうです。
生徒になるのに試験はなかったのですが、僧侶である必要があり僧籍に入って入学し、学び終えたら僧侶の資格は返すみたいなこともされていたそうです。
詳しくは調べていないのですが、結構自由に入退学していて年齢や身分も自由だったようです。
わたしはなぜかこの足利学校が気になっていて、何度となく訪れています。
先日どうしても行きたくなって再度訪れました、わたしはいつも自分が何をしたいのかを自分の気持ちに聞いて朝に行き先を決めたりすることが多いです。
(一眼のバッテリーを忘れスマホで撮影したのですが、モノクロで広角で撮るといいかんじにとれました。)
わたしは仏教や心理学などに興味があるのですが、平安時代から戦国時代の文化や学問などに不思議な懐かしさを感じるのです。
昔は敵と戦うための兵法と占術(易学)が同じくらい重要だったらしく、中世は人の無意識や見えない世界と通じていて面白いなあと思います。
老荘や気学、陰陽五行など西洋的な学問より昔の学問は個人のエゴを如何に超えていくかということが学問として大切だったように思います。
西洋の科学は観測者である自分という客観性を重視するので、どうしても「説明はつかないけれど巨大な存在としてある何か」みたいな曖昧なものには言及出来なかったりします。
マインドフルネスや瞑想、ヨガや日本の伝統芸能は左脳的な「我」ではなく「いまここ」に注目します。
座禅や瞑想は色々やりましたが、どうもあの厳しく退屈な雰囲気がすきではありません。
ブッタも一生懸命座って1000年かけても悟れないといっていたではありませんか。。
脳科学者ジル・ボルト・テイラーさんが脳梗塞になり、右脳の世界をリアルに観測した話や、ネドじゅんさんの話から、結局西洋科学的に言えば悟りとは右脳と左脳の話なのではないか?と思うようになりました。
仏教や瞑想を語る人は厳しかったり分かりにくかったりでしょんぼりしてしまいますが、ネドじゅんさんは親しみやすい。
本当に幸せな状態とはいまここを楽しむ、本当に今ここを楽しんだ瞬間にあふれるほどの感動(涙にむぜぶくらい)があることだと、それがマインドフルだとわたしは思います。
その瞬間は過去も未来もなく、自分も他人もなく、悪い良いもなく、恨みも悪意も善意すらなく
ただただ愛が溢れます
わたしは歌を歌うのですが(ボーカルのレッスンをしています)
なぜ歌を歌い始めたかの説明はココカラ***********
数年前に青のものが気になり立ち寄った雑貨屋さんで青のユニコーンの絵や石などを買ったのですが、その店主が
「喉のチャクラが開かれましたね」
「青は喉のチャクラの色です」
と言ってくれました。
それから急にヴォーカルに興味が出て
いまはセッションやレッスンが楽しいです。
***********ココマデ
楽しくて歌っているのですが、時々感涙に咽ぶことがあり
その時は本当にマインドフルになっていて時間を超えた境地?みたいになっています。
R&Bやジャジーなものが多いのですが、声を出す身体感覚とトラウマがリンクして過去にアクセスしたりすることもあり
お腹から出るエネルギーや声の波動が自分を開放するのかな?なんて思ったりします。
男性は心を開放しづらいと思います、本当にわたしがそうですし、それは心理をやってらっしゃる方は痛感していると思います。
こころ(感情)を開放する、ぎゅっと絞ったバルブをひねって出せばいいだけなのですが
教育や社会の抑圧のちからは強いのです、本当に強いのです。
そこには押し殺してきた莫大なエネルギーが眠っています
でも何十年もそれを開けることなく
開けるつもりもなく
自分を抑圧して、その歪みを他人にぶつける、支配する
そんな人も多いのです。。。ザンネンデスネホントウニザンネンデス
話が逸れました。
ホモサピエンスは左脳を発達させ、嘘を信じれる能力を持った
つまり自分に嘘をつくことができることになったお陰で
種として強くなったといいます(サピエンス全史による)
しかし、その能力が現代人を苦しめています。
「なんだかわからないけどある巨大で目に見えないなにか」
左脳が発達させた技術を超えてサピエンスが次元上昇するには
昔の東洋の思想や学問、文化のあり方を取り戻しつつ
現代に融合させる必要があるようにわたしは思います。