釈迦のエピソードに、「拈華微笑」というものがあります。
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ある時お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)に於いて、いつものと違って一言もお説法なさらずに、ただ一輪の花を手に取って大衆に示されました。
お釈迦様のお説法を拝聴しようと集まった弟子たちには、いったい何の事やらさっぱり分かりません。
ただ、迦葉尊者のみが、「破顔(はがん)微笑(みしょう)」したのでした。
「破顔」というのは、「顔をほころばせて笑うこと。にこやかに笑うこと」です。
恐らく、頑なにボロ衣を身にまとい、頭陀行第一と言われた迦葉尊者ですから、普段微笑むようなことはほとんど無かったことでしょう。
そんな修行一途の迦葉尊者が、その厳しい顔をほころばせて笑ったのでした。
お釈迦様は、それをご覧になって、自分の教えはすべて迦葉に伝わったと言われました。
この逸話が、禅の起源とされているのです。
「花をみてほほえむ」、これが禅の始まりなのです。
円覚寺 館長の言葉
2021.03.03
今日の言葉
花をみてほほえむ
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花と自分が一つとなる様な体験が禅の境地なのだそうです。
わたしは朝散歩で近くの神社とお寺によく行きます。
カメラを持ってその途中で花などを撮っています。
花や道に落ちている葉っぱや朝日、朝露などを思うがままに撮ります。
花や蝶は美しくとても惹かれます。
飾らず自然、ありのままなのに美しいのですよね。
美しい私が咲いているぞという慢心なくただ咲いている
花が光を吸い込んで空気に色を付けている
美しく咲くからと言って何かを要求するわけでなく名誉も欲もなく
そしてただただとてもかわいいのです。